国立に暮らし、国立を愛した作家、山口瞳先生の代表作『居酒屋兆治』。1983年には高倉健さんと加藤登紀子さん主演で映画化もされました。
この作品のモデルは、谷保にあった『文蔵』というお店。その後、店主の八木さんご夫婦が高齢などの理由から閉店され、2006年9月末からは、三鷹にある『婆娑羅』の分店として営業されていました。そして2022年、『婆娑羅』の店主の濱岡さんが亡くなられ、閉店することに。
そこから今の店主が引き継いで、現在の『いづも』が生まれました。
やぼな夜 第5話 ~受け継がれた『居酒屋兆治』の舞台裏~ [コラム] より引用


文蔵~婆娑羅の歴史
以下、文蔵から婆娑羅に至る店の歴史について、三鷹の婆娑羅店主のブログより引用します(現在は閉鎖されているようです)。
高倉健、加藤登紀子、大原麗子などの出演によって「居酒屋兆治」という山口瞳の小説が映画になったのは、1983年(昭和58年)のことである。
そのモデルになったのが、国立の谷保にある「文蔵」という名の小さな酒場である。
「文蔵」は八木夫妻が30年にわたって、仲良く、静かに、ひっそりと営んできた店である。
多くの文人、墨客も又、普通に暮らす市井の人々も、夜々集まっては口角泡を飛ばし、酔狂とモツ焼きの煙が店の中いっぱいに渦巻いていた。
しかし、時が流れ月日が変わり、多くの酔客は酒をやめ、夜遊びが出来ない年齢になった。そして八木夫婦も同じように歳を重ねた。
平成十八年八月の或る日、八木氏の奥さんから三鷹 婆娑羅の店主 大澤に電話が来る。
『何とか店の灯を消さずに続けていただけないか』
大澤は大いに困り悩んだ果てに、一旦はこの申し出を断る。
「文蔵」という店を継承するには、自身があまりにも若輩だと感じたのである。
しかしその後、八木夫妻のご厚意により、最終的には「婆娑羅」として店を譲るということで話が決まる。
とは言え、国立の谷保は酒場商売には決して良い所ではない。それでも30年に及んでその地で「文蔵」は生きてきた。沢山の常連客が店を支えてきたことだろう。
婆娑羅という店に生まれ変わって、再び提灯に灯がともったのは平成十八年九月末である。
大澤は、「文蔵」という店の歴史、それを支えてきた人々の心を裏切ることのないよう、店作り、商いを心がけると心に決めた。そしてその結果、国立の店の片隅で味わいのある酒場をはぐくむことが叶えばと、強く念じたのであった。

